教育評論家?

朝からとてつもなく気分の悪い文章に行き当たった。
スルーしてもよかったけれど、あまりに気分が悪すぎて、現在進行中のパンフレットの原稿作りに差し支えるといけないので、一応書いておく。


森口朗という人のブログ。
「太鼓を叩いていた子達に「民主主義」と「民主主義の敵」を教えよう」

いきなりたいそうな口をきくので、どんな立派なことを教えてくれるのかと思いきや…。


> 1 「民主主義」とは、意見の違う相手の立場を尊重することです。
> ですから「平和安全法案」を勝手に「戦争法案」と呼ぶような人達は民主主義の敵です。
> 与党の人達は、万が一心の中で思っていたとしても、国会の議場で民主党共産党社民党の人達を「売国奴」とは呼びませんし、山本太郎氏を「低能」とも呼びません。少なくとも、国会は民主主義の実現を目指す場だと心得ているからです。


なるほど。
では、共産党の志位委員長や民社党の岡田委員長の質問時には黙ってるくせに、女性議員や若手議員のときにだけ、ヤジを飛ばす総理大臣はまさに「民主主義の敵」ですね。



> 2 「民主主義」とは、いきなり自分の考えを押し付けるのではなく、相手との妥協点を探ることです。
> ですから、国会で多数派を占める与党を基盤にする政府法案を、気に入らないからといって妥協点を見いだす努力もせず「廃案!廃案!」と叫ぶ人達は民主主義の敵です。
> 与党の人達は、「次世代の党」「日本を元気にする会」「新党改革」の人達の主張を付帯決議に取り入れるという形で妥協を図りました。これが民主主義です。また、「次世代の党」他の人達もイデオロギーを超えて、修正案を練り上げました。これが民主主義です。


繰り返しになりますが、日本の違憲審査制では「法案提出の時点で最高裁がこれを差し止めるなんの権利も持っていない」のです。
だから、法案を提出する側が「合憲」「違憲」を極めて慎重に、また抑制的に判断をする必要があるのです。
政府与党がいかに多数を占めていようとも、これまで「違憲立法」に対してストッパーとして機能していた内閣法制局の人事を恣意的に操作するなんてことは許されるはずがありません。
集団的自衛権にまったく言及していない最高裁判決や、集団的自衛権は認められないと結論づけた「政府見解」の結論部分だけをひっくり返して「合憲」とするのは、乱暴を通り越して「無法」です。
その「無法」な法案!?(「法案」と呼べるのかどうかすらアヤシイ)に対して「廃案」は仕方のないことでしょう。
安全保障について議論するのなら、現行憲法の下で認められた、あるいは本当に必要なら憲法改正も視野に入れて、改めて議論すべきです。

「次世代の党」の党首は、この国会の最中に自民党への復党を願い出ている人です。
また、修正案といいながら「付帯決議」をくっつけただけで、これは法的な拘束力を持っていないもので、安倍政権にとっては痛くもかゆくもありません。
今さら言わなくてもみんな分かっているとは思いますが、「強行採決」ではない、という演出以外の何ものでもありません。

これが「民主主義」ですか?


> 3 「民主主義」とは、妥協点を見いだせなかった時には多数決で全体の意見を決めることです。
> 人の値打ちは皆平等ですから、全員が平等に同じ1票を持って多数決で意見を決める。それが民主主義です。
>  100時間も話し合ったのに

「国民の理解は進んでいないが決めるときには決める」「法案が成立すれば理解は広がる」こんなことをヘーキで言う総理大臣は「人の値打ちは皆平等」と考えているとは思えません。「国民」を一段低く見下ろしてるからこそ、こういう発言になるのだろうと思います。もちろん、SEALDsの若者たちに対して「教えてあげる」などと「上から目線」のこの筆者も同じです。

熟議が行われたかどうかは時間ではありません。二転三転する答弁、法案を読み上げるだけの答弁、「総合的に判断」とだけ繰り返して基準をはっきりさせない答弁…。
そんなものいくら積み上げても理解されるはずもないし、初めっから理解など求めてないようにさえ思われます。


> 4 「民主主義」とは、多数決で決まった意見に皆が従うことです。

もちろん、その通りです。ただし、多数決で得た結論が常に正しいとは限らないので常に修正する努力を怠ってはなりません。法案が通ったから終わり、ではないのです。



> 結論:わが国では、あなた達が呼び捨てにしていた総理大臣や、その仲間達が民主主義を体現しているのです。そして、あなた達をちやほやして、代表を国会にまで呼んでくれたおじさん、おばさんこそが民主主義の敵です。

言ってることが支離滅裂です。
総理大臣やその仲間達も、この筆者の言う「代表を国会にまで呼んでくれたおじさん、おばさん」も、同じ民主的な選挙で選ばれたのです。
なぜ、総理大臣やその仲間達が「民主主義を体現」し、野党の人たちは「民主主義の敵」になるのか、まったく論理的に理解できません。
確かに、与党は多数の票を得、野党は少数かも知れませんが、その少数派を「民主主義の敵」と呼ぶのは、ご自分がいの一番に挙げた「意見の違う相手の立場を尊重する」という「民主主義」の条件にまったく当てはまりません。


そして決定的なのは

> 判ったら、もう法律は成立したのですから、明日から頑張ってお勉強をしましょうね。


これが自称!? 「教育評論家」から出た言葉です。

将来のある若者たちに向かって、決まってしまったら、今さら努力したってムダですよ、と言っているのです。
学校で習うことは大切だけど、街に出て自分の意見を主張することはなんの役にも立たない、と言っているのです。


SEALDsやそれに賛同して集まった若者たちは、この数ヶ月の間だけでも貴重な勉強をしたと思います。
今まで見なかった新聞やニュースや国会中継を見るようになった人がいるかも知れません。
だいたい、「政治」なんていうと友達にひかれる、と思ってたのに、堂々と「政治」を語るようになった。
そして、なによりも、小さいお子さんのいるお母さんやおじいちゃんやおばあちゃん、自分たちとは違う世代の人たちと時間を共有できただけでも、学校では絶対に学べない体験ができたと思います。


この森口朗とかいう、いかにも頭の悪そうなオヤジ。

エラそーに「民主主義を教えよう」なんて言うから、ちょっと熱くなってイチイチ反論してしまったけど、この人が安保法制や国会についてなにを言おうが、どうでもいいことです。
でも、少なくともこんな人に「教育」は語らせたくない。

なにが、「民主主義を教えよう」だ。
自分が若者たちにイチから教えてもらえ!!


p.s.
あーあ、こんなくだらないブログのせいで、また貴重な半日をムダに過ごしてしまった。
明日から(今日からやれよ!)頑張って、お仕事しましょう、ね。