オーストリアスキーの完成

やぐらでスゴイ本を見つけた。
ワルター・ニーダーライター著、岩動洋二訳で昭和41年に刊行された「オーストリアスキーの完成」だ。
岩動氏はナイスクの前身、日墺国際スキー協会の創設者で理事長だった。


この本は、著者と訳者の序文を読むだけでそのすごさがわかるというもの。
まずはワルターの序文(抜粋)。
「この本を書こうと思ったのは、わたしの日本のスキー仲間が練習場で滑る型や理論(ベベーグングスフォルゲンゲ:BEWEGUN-GSVORGAENGE)にとらわれすぎて本来のスキーを忘れていると感じたからです」
「スキーの練習はだんだん上手に『山を滑り降りる−シーファーレン:SCHIFAHREN』のためにするものです。いつまでも練習場(日本で言うゲレンデ)の滑りやすい雪や、滑りやすい場所をきれいな型で滑るためだけのものではありません。練習のための練習、理論のための理論ではなく、スキーは実際にいろいろな斜面、むずかしい雪をこなしてゆく闘争的なスポーツであるはずです」
「我師クルッケンハウザー教授が、くり返し言っている『スキーは脚で滑るもので、頭で滑るものではない』という言葉は味わうべきものがあります」



続いて岩動氏の序文(全文)。
「高い山にスキーで、またはケーブルで登る。何キロも滑り降りる。急で長く雪崩が出そうな斜面や雪が深いだけでなくクラストして斜滑降、キックターン以外処置のないところもある。いっそのことケーブルで降りたくなるようなところもある。だが、深くて軽い雪で腰まで埋まるのに、快適にパラレル・シュブングで回ってゆけるところもある。これがオーストリアで言うスキースポーツである。これをシーファーレンと言う。
 スキーの練習はシーファーレンのためにする。だから練習場での練習に終始することはない。実戦(シーファーレン)をしながら練習してゆく。練習場で出来るシュブングはシーファーレンでも応用出来なければ意味がない。
 ニーダーライター氏は、日本のスキーヤーは練習場でオーストリア技術の型は上手にこなしているが、スキーの本質(シーファーレン)を忘れている人が多いと言う。日本人の性癖なのかも知れない。練習場で型をすっかりマスターしてから、シーファーレンをしようと思っているに違いない。しかし方法論としては型の練習と実戦(シーファーレン)は併行してゆくのが本当である。碁の定石だけを覚えても手合わせを併行してやらなければ定石の本当の意味も分らないし、碁が強くなるわけでもない。
 練習場のやさしい斜面でひねもすウェーデルンを楽しんでいる人が多い。お正月にお嬢さんたちが着飾って羽根つきを楽しんでいる優雅さに似ている。
 日本にオーストリアのように素晴らしい山がないわけではない。型ばかりではなく自然の中の雄壮なスポーツとしてのオーストリアスキー普及のために本書が御役に立つことを願って序とする」



これが、およそ半世紀も前に書かれた文章ですよ!
確かに、用具の進歩に伴って、技術は間違いなく進化しているだろう。
でも、考え方はどうだ。
SIAのオフィシャルメソッドは、この本を越えているか?
改訂されるというSAJの教程は、先に進んでいるか?


少なくとも私は、常にシーファーレンを目指していたい。