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デモと民主主義について

国会前には多くの人たちが集結しているという。

それがたとえ10万人でも3万人でもかまわない。

まったく報道はされないけど、一昨日「朱雀」を食べに小布施に行ったら、その街角に10数人がプラカードを掲げて「安保法案反対」を訴えていた。

昨日、真田の交差点を通りかかったら、ほとんど歩く人のいない、みんなが車で通りすぎるだけのこんな田舎でも、たった5人ぐらいだけど、やっぱり必死に訴えていた。

 

 

日本人の中には、デモやストライキに偏見を持つ人が多いような気がする。
自分はすぐにつるみたがるくせに、他人が群れるのに嫌悪感を抱くのだろうか?

「サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ」「やがて雲散霧消する集団でしかないね」などとぬかす橋下市長や石原慎太郎は、もともと民主主義を屁とも思っていない連中なので論外だけど、ごくフツーの一般市民ならともかく、仮にもジャーナリストを名乗る人が「デモは民主主義じゃないだろ」なんて文章をヘーキで書いていることに驚かされる。




デモは、間違いなく「民主主義」である(それが暴力的にならない限りにおいてだけど)。
もちろん、デモによって物事が決定されるわけではない。
が、有権者が公の場で自分たちの意志や主張を示す、大切な手段である。


もう一方の、そして最も大切な手段は、言わずと知れた「投票」だ。
ただし、ある政党や個人に投票をしたからといって、その政策に100%賛成しなければならないワケではないだろう。
AかBかの選択をしなくてはならないとき、多くの場合はよりベターな方を選ぶのだ。
橋下市長の言うように「議会制民主主義」が「期限付きの独裁」であるならば、とても恐ろしくて、誰にも、どの政党にも、投票などできるものではない。


ちょっと景気がよくなった気がしたから、株が上がったから、民主党よりはマシだから、自民党に投票したけど、「こんなやり方で集団的自衛権の行使を認める、あるいは後方支援を拡大する、そんなことは許せないよ」と、デモに参加する人がいてもいいのである。

自分が選んだ、あるいは選ばなかった権力者に対して、選挙と選挙の間の時期(つまり任期中ってことね)に、自分の主張をデモで示してプレッシャーをかけることは、けっして間違ったことではない。

つまり、デモは投票行動を補完する重要な民主主義の手段なのだ。
だから、「デモなんかやってないで投票しろよ」なんて二者択一を迫る人は、ピントはずれもいいとこである。

 

こういう事を、学校できちんと教えることが「偏向教育」なんて呼ばれないように(もちろん先生がそれによって処分されたり、萎縮したりすることのないように)、我々はときの政権をきちんと監視し続けてなければならないんですよ。