やっぱり、似てない?


五輪エンブレム白紙撤回会見を見て。

「子細に見れば似てるところもあるけど、似てないところも沢山ある」
vs.
違憲じゃないという著名な憲法学者もたくさんいらっしゃる」


「デザイン界の理解としては「違うもの」と十分認識できる」
「専門家はわかり合えるが、一般国民には分かりにくい」
vs.
「国民の理解が進んでいないが、採決をるかどうかは委員会がお決めになる」


そして極めつけ。

「けっして模倣ではないけれど、エンブレムは取り下げる」
vs.
「侵略ではなく『新しい国際秩序』への『挑戦者』」
「経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます」
「国際秩序への挑戦者となってしまった過去」
「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけ『られた』女性たちがいた」(『』ナカニシ)
「先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを(過去の総理大臣が)表明してきました」(カッコ内ナカニシ)


いったい、どこが似てるのだろうか?
なぜ、似ているような印象を受けるのだろうか?


我々には非がない。
だから誰も責任を追及されるいわれはない。
国民の理解レベルが低い。

大まかに言えば、そういうことかなぁ。