先日の朝日新聞の「声」欄から。
埼玉県の60代主婦の投書(一部略)。
「今、閣議決定だけで憲法9条の解釈が変えられ、集団的自衛権の行使が認められようとしています。成長した息子が人を殺し、だれかに殺されるかもしれない。そんなことは絶対に許しません。私の命をかけてもさせません。
『日本国民を守るため』と首相は言います。偽りです。『国民を守る』とは、戦争による犠牲者を二度と出さないということではありませんか。
日本の経済が落ち込み、どんなに生活が貧しくなろうとも、電気がなくてろうそくの明かりで過ごそうとも、石油がなくて寒い冬に凍えようとも、日本の若者たちが戦場で殺戮を繰り返すよりは、よほど国民は幸せだと私は思います。
若者のみなさん、戦場へ行ってはなりません。人を殺すくらいなら、戦争に反対してどんな罰でも甘んじて受けましょう。その方が世界を変えていく力になります。人が人を殺すことだけはあってはなりません。これこそが、日本の平和憲法の原点なのです。」
涙が出た。
与謝野晶子の詩を思い出したら、声を上げて泣いてしまった。
「親は刃(やいば)をにぎらせて
人を殺せとをしへしや、
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや。」
集団的自衛権を認めたからといって、すぐに戦争が起こるわけではないことはわかっている。
が、認めてしまえば、可能性が0でないことも明らかだ。
私の甥っ子は3人とも自衛隊員だ。
事が起これば、戦場へ行かなければならないかもしれない。
いや、自衛隊員でもなんでもない息子だって…。
「旅順の城はほろぶとも、
ほろびずとても、何事ぞ、」
そう、まったく何事ぞ。
尖閣や竹島を取られたって、ホルムズ海峡をタンカーが通れなくなったって、何事ぞ!
「すめらみことは、戰ひに
おほみづからは出でまさね、
かたみに人の血を流し、
獸(けもの)の道に死ねよとは、
死ぬるを人のほまれとは、
大みこゝろの深ければ
もとよりいかで思(おぼ)されむ。」
安倍晋三も石破茂も戦場へは「出でまさね」。
ただし、この人たちは「企みの深けれ」ば、自分勝手な歴史認識を主張した教科書を押し付けて、
「獸(けもの)の道に死ねよ」とか「死ぬるを人のほまれ」と教える可能性は否定できない。