芳沢君の死を悼む

ブラボースキーの大和田さんから電話がかかってきた。
「ヨシ○さんが亡くなったのを聞いてますか?」。
「え、ヨシダさん?」。
「ヨシ○ヒデオさん」。
「ヨシダヒデオさん、って誰?」。


とにかく、ワケがわからなかった。
まさか、あの芳沢君だなんて、とても信じられなかった。


一昨日、くも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなったそうだ。


なかにしスキー塾は、彼の存在なくしては語れない。
2年目からウェアの提供をいただいた。
SPYDER→Orageと、こんな時代にも関わらず、ずっと無償で提供し続けてくれた。
開幕祭だ、感謝祭だ、とそのたびに協賛品を送ってくれた。
「ゲレンデ外だド」という講座名は、彼がブラボースキーに連載していた記事からもらった。
旭岳だって、もとはと言えば、スキー塾10周年の企画を彼に相談して始まったものだ。
4月のかぐらツアーでは、彼の苗場のマンションのゲストルームを使わせてもらった。
その時が、芳沢君に会った最後になってしまった。


若すぎるとか、早すぎるとか、私にはわからない。
でも、彼は私だけではなく、誰に対しても同じように接していただろうから、誰にとってもかけがえのない人だったろう。



なんのお返しもできないままに、芳沢君は逝ってしまった。
今、私にできることは、彼の愛したパウダーを、彼のような笑顔で滑ること。


芳沢秀雄君、安らかに。