朝日新聞「耕論」から

朝日新聞の「耕論」というページが面白い。


先日私も書いたサッカーワールドカップについては、東大名誉教授の蓮實重彦さんが述べている。
「サッカー選手は動物的でなければ一流にはなれない。その獰猛さで驚いたのは、ガーナのジャン。オランダのスナイダー」。
なるほど、なるほど、同感です。


日本代表については私が指摘したとおり「本田が『日本人とパラグアイ人しか見ない試合』と言っていました。国籍とは無縁に見る人をうならせるところのない試合だということを選手達は肌で感じたはずだし、世界が遠いことも実感したと思います。−中略−『感動をありがとう』なんて個々のプレーの素晴らしさを見ていない人にしか言えない言葉だと思います」。
まったく持って、その通り!!


この間の選挙についてはソフトバンクのお父さん犬シリーズのCMを制作している佐々木宏さんが
民主党だという強い思いもなく、自民党に戻したいというわけでもない。民主党が消費税でつまずいて、自民党が『いちばん』とか言っているあいだに、消去法でみんなの党に入れちゃったみたいな感じですね」。
確かに。


「『民主惨敗』『自民勝利』とか報じられると、『あれ、? そうなっちゃったんだ』という感じじゃないですか。『アナタの一票が生かされましたか』と聞いてみれば、『うーん、微妙』…」
そうそう、そんな感じだ。


『CMの中で犬の白戸次郎は当選したんですが、子どもたちが政治家になりたいと思うような環境を作ることが大事なんじゃないですか。野球のイチローやサッカーの本田にあこがれるみたいに…」
ですよね。


中でも一番感心したのが、もう10日ほど前に小沢昭一さんが大相撲について語っていたやつ。
「僕が子どものころ、−中略− 美男力士の後援会長、名古屋の大きな遊郭の女将さんが
こう言うんです。『関取、大髻を崩して汚い格好で勝ってもだめだよ。負けてもいいから、様子よくやっておくれよ』と。−中略− 相撲は強いだけがいいってもんでもないらしい、と子供心に感じたものです」。
「どうみても大相撲は芸能、見せ物でスタートしているんです」。
「昨今のいろんな問題について、大相撲という興業の本質を知らない方が、スポーツとか国技とかいう観点からいろいろおっしゃる。−中略− 清く正しく、すべからくクリーンで、大相撲は公明なスポーツの範たれと」。
「大相撲も歌舞伎も日本の伝統文化はすべて閉じられた社会」。
「閉鎖社会なればこそ、独自に磨き上げられた文化」。
「問題が起こるたんびに少しずつ扉が開いて、一般社会に近づいている。文化としての独自性を考えると、それはよい方向なのか」。
「大相撲もクリーンとやらの仲間入りか。寂しいなぁ」。


さすが、小沢昭一さん。
考えてみれば、大相撲はスポーツとは違うのかも。
カド番大関が勝ち越しをかけた千秋楽、ワザと負けてあげて「花を持たせる」ってのもアリなんじゃないの?


私は昔からプロレスをそんな風に見ていた。
八百長だ」とか言ってるバカな人がいるけど、あんな殴ったり蹴ったりするやつは、ちゃんと筋書きがあるからこそ、安心してみていられる。
水戸黄門を見ているみたいに。
「予定調和」こそ美しい。
だから、K−1だとか、プライドだとかは大キライ。
あんな子供のケンカみたいなもの、とても見ちゃいられない。


そう、大相撲もきっとそうなんだ。
力士とは、アスリートではなく、魔よけのために、そしてそれを多くの人に披露するためにキビシイ稽古を続けてるわけだから。