NBAのファイナルが終わって、今度はワールドカップ。
夜中の中継のおかげで、毎晩茶の間のコタツで寝るハメに。
そんな中で、日本のワールドカップが終わった。
大方の予想を覆して決勝トーナメントに進出し、
120分戦った末のPK戦負けという、一見なんとも惜しい試合で。
テレビや新聞では
「感動をありがとう」
「生きる勇気をもらった」
等々、ステレオタイプなコメントの大合唱。
まったく鼻につく、ったらありゃしない。
マイクを向けられたら、とりあえずウケのいいことを言っておく出演者やサポーター達に、
またそれを繰り返しタレ流すメディア。
本気でそう思ってんのか!!
ま、「ありがとう」はともかく、「勇気をもらった」ってなんだ!
じゃあなにか、日本代表ががんばらなかったら、
アナタは生きていく勇気がなかったの?
たかがサッカーの試合を観たぐらいでもらえる「勇気」って、一体なに?
オシムは素晴らしい。
開口一番「PK戦はサッカーではない」。
確かにそう思う。
PKを外したから負けたのではなく、
90分間(あるいは120分間)で得点できるような試合をしなかったから負けたのだ。
「チャンスをものにするために必要な勇気が足りなかった」
「『勝ちたい』という気持ちを『負けたくない』が上回ってしまった」
「決勝トーナメント1回戦で敗退するような準備しかしてこなかった」
まったく、その通りだ。
同じようにベスト16で終わっても、韓国のほうがよほど可能性を感じたのはなぜだろう。
ここまで4試合で、ゴールの枠内に飛んだシュートは、参加国中日本が一番多かったそうである。
でも、なぜだかそんな気がしない。
「ひょっとした」と思わせる、可能性を感じさせるシュートはとても少なかったように思う。
私は、サッカーはシロートである。
でも、試合開始早々、大久保が強引に放ったシュートで、メンバーの緊張感が融けた(と、TVの解説で言っていた)などとは思えないし、そのプレーをアグレッシブだとも感じない。
冷静に右へ展開していれば、もっとチャンスが広がったかもしれない。
先制点を上げることと(もちろん得点にならなかった可能性のほうがうんと高いけど)、緊張感を融くこと、一体どちらがこの試合の展開を有利に持ち込めるのか。
大久保が悪い、と言ってるわけではない。
ちゃんと見る目を持った人が見れば、そんなシーンはもっともっとあるのだろう。
本田はエライ。
「僕が、日本人かパラグアイ人じゃなかったら、今日の試合は見ていない」。
日本代表の試合は、日本を応援するということを除けば、ゲームとしてワクワクさせてくれなかったし、
もちろん「生きる勇気」なんてもらえなかった。