今朝の新聞に、文部科学省が来春実施予定の学力調査の例題が載っていた。
次の問題は小学校国語、副詞の呼応の理解を確かめる問題だ。
次の一から三の( )に当てはまる言葉の組み合わせを
1〜6の中から一つずつ選んでその番号を書きましょう。
一 小川さんは、約束通りの時間に( )来る( )だ。
二 どんな努力も( )無駄では( )。
三 大森さんが休んだのは、( )インフルエンザのせい( )
1 (けっして)〜(ない)
2 (もし)〜(なら)
3 (たとえ)〜(でも)
4 (たぶん)〜(だろう)
5 (きっと)〜(はず)
6 (まるで)〜(よう)
正解は、言うまでもなく、一 = 5、二 = 1、三 = 4 である。
が、しかし、( )の中にちょっと言葉を加えると、
正解以外でもじゅうぶん意味が通る文になる。
例えば、
「約束通りの時間に(けっして)来る(はずのない人)だ」
「約束通りの時間に(もし)来る(なら立派)だ」
「どんな努力も(もし)無駄では(ないならみんな成功するはずだ)」
「どんな努力も(たぶん)無駄では(ないだろう)」
「どんな努力も(まるで)無駄では(ないかのように言われているけど…)」
「(けっして)インフルエンザのせい(ではない)」
「(きっと)インフルエンザのせい(のはずだ)」
出題者がどんな正解を期待しているのか、それを推測する能力は必要だと思う。
そうでないと、他人とはコミュニケーションの取れない独りよがりな人間になってしまう。
が、果たしてそれだけでいいのだろうか。
期待されている正解以外の答えの可能性を求める子供が私は好きだし、
そういう姿勢を持つことが大切だと思っている。
ま、一般的には「そんなムダなことを考えてるヒマがあったら…」
と言われるんだろうけど…。