少数意見

昨日の雪ですっかり白くなった。
もちろん、まだスキーはできないけど、
それでも山が白くなるとその気になってくる。
ついでに四阿山の裾野から昇る朝日の写真も載っけておく
 


「不良生徒さん」が書いてくれたコメントを呼んで、小学校の国語の時間のことを思い出した。
ある文章を段落分けし、その区切りはどこか、という設問に対し、私はある意見を言った。
最初はクラスの多くが賛同してくれた。
が、それは先生の意図するところ(つまりは正解なのだが)と違っていて、
先生は正解のほうに誘導しよう(フツーはそれが指導なのだが)とした。
トーゼンのことながら私の意見の賛同者はみるみる減っていき、ついには私ひとりになった。
当時のことをハッキリと覚えているわけではないが、
そのとき私も自分の意見が正解ではないことに気づいていた、と思う。
が、言いだした手前、後に引けなくなって、最後まで自分の意見(どう屁理屈をこねたか覚えてないけれど)を
押し通した。
授業が終わった後、ひとりの友達が近づいてきて
「カッコよかった。ひとりでもがんばるなんて」と言った。


その時以来、私はずっと多数派にはなれない、ような気がする。


その時の先生に文句を言っているのではない。
間違いに気づいているのに、それを正さないことがいいと言っているワケでもない。
「人と考えが違ったとき、あなたはそれを口に出して言いましたか?」という、
先日書いた教育論とも観点がずれている、というのも分かっている。


でも、とにかく、そんなことを思い出したので書いてみた。


あ、そうそう
「ひとりで生きていくということは、どうせ負けるための過程に過ぎない」と、
どこかで読んだのもついでに思い出した。